個性を磨く。これからのお寺に必要なのは「個別解」の発想

3/13(金)に増上寺・慈雲閣をお借りして開催した“まいてら寺院の集い”は、約50名のまいてら寺院関係者が集まり、熱気にあふれるひと時となりました。
今回の講話では、昨年のまいてら巡礼(全国のまいてら寺院80ヶ寺へのお参り)から見えたことをふまえ、
個性を磨き
対話を重ね
ゆるやかにつながる
という三点についてお話しさせていただきました。

まず、個性を磨くという点で、これからの寺院運営の鍵は「個別解」にあるとお話ししました。マクロで見ると、寺院を取り巻く環境は厳しい時代です。
しかし、マクロは動かせなかったとしても、自坊というミクロでできることはたくさんあります。今までもこれからも、個々のお寺に一律の正解があるわけではありません。地域も、歴史も、ご縁の構造も、お寺ごとに違います。だからこそ必要なのは、よそを真似ることではなく、自坊にしかない個性を掘り起こし、磨くことです。
特に、法事と行事は、個々のお寺の自由度が高く、お寺の個性が最も出やすい領域です。ここを磨かずして、これからのお寺の可能性は開けないということを、強調してお伝えしました。
法事を磨く。お寺の実力がもっとも表れる領域
法事は日本で最も行われている仏事です。正月とお盆を除いて、ほぼ毎日行われていると言っても過言ではないでしょう。
しかし、お寺と関わってから十数年、全国を回っていても、法事を磨くという発想は、葬儀やお墓への注力に比べるとあまり聞こえてきません。それほど梃入れしなくても檀信徒が慣習で継続してくれてきたことや、一件あたりのお布施単価は葬儀やお墓と比べれば金額としては低いため、お寺として注力する動機が働きにくかったのかもしれません。
一方、お寺の未来が本格的なコンサルティングを寺院から依頼される場合、まず真っ先に深掘り分析するのは法事の状況です。法事こそ、お寺の実力が如実に表れる領域です。人間はいつか亡くなるため、葬儀は法事でつながっているご縁が形を変えたものとして捉えられ、法事こそ檀信徒との関係性や教化度合いが象徴的に表れます。
先般実施した「法事に関する生活者の意識調査」も、法事こそ重要という問題意識が基底にあります。
集いのアンケートを見ると、法事を強調したことについて、参加者の納得感は大きかったように思います。
「法事と行事の両建てが重要だという話に共感した」
「法事の意義と、その大切さが伝わってきた」
「法事再興ワークショップには大いに期待しています」
いま法事に必要なのは、昔の常識を繰り返すことではなく、生活者にとってその意味が伝わるよう法事の価値を再設計することです。法事は減っているかもしれない。しかし、それは法事の価値が失われたからではなく、価値に触れる機会が減っているからでもあります。この認識を持てるかどうかで、お寺の対策は大きく変わります。
対話を重ねる。気づきは、関係性の中から生まれる

そして、もう一つ重要なのが「対話」です。
対話は情報交換ではありません。自分の見方を揺らし、認知の限界を超え、行動につながる気づきを生む営みです。
参加寺院からは「参加者目線の大切さに気づいた」「他寺院の話から、自坊のことを考え直した」という声がありました。変化の速い時代に、自分の頭の中だけで考えていても、発想は更新されません。
今の仏教界に、知識以上に求められているのは、このような深い対話の場かもしれません。
SNSを見れば、何となく他寺院の活動は分かります。しかし、なぜ行っているのかという意図や、ネット情報には表れない課題や苦労話等の奥行きのある情報や気づきは、実際に会い、対話を深めていく中でようやく見えるものがあります。
タイパ、コスパ偏重の流れをAIが加速する時代ですが、あえて手間暇をかけるからこそ、出会える気づきがあります。「わざわざ出向く」「じっくり対話する」等、身体記憶に刻まれる経験を重ねていく先に、未来の光明が見つかると思います。

次の世代に場をひらく。若手にも、住職世代にも大切なこと
対話の機会を持つことは、住職にとっても、副住職や寺族にとっても、大切なことです。
そのうえで、とりわけ仏教界の若い世代、すなわち20代から40歳前後までの方々にとっては、こうした場の意味はより切実になっているように思います。
まだ住職ではない。もしくは、住職になって日が浅い。
お寺の未来には責任を感じ、今のままではいけない気もする。
しかし、どこで何を学び、誰と話せばよいのか分からない。
そのようなモヤモヤを抱える副住職、寺族、若手の寺院関係者は少なくないはずです。
一方で、そのような次の世代の模索を受けとめ、場をひらいていくことは、住職世代にとってもまた大切な課題ではないでしょうか。お寺の未来は、今を担う人だけでなく、これから担っていく人たちとの対話の中で育っていくものだからです。
今回の集いには、まいてらに興味を持つ、いくつかのお寺の住職や副住職の方々も参加されました。集いへの参加の後、「まいてらに参加します」「住職を説得します」というとても前向きな声が聞かれました。
こうした反応は、若い世代が刺激を受けただけでなく、住職世代にとっても、他寺院との対話や実践に触れることの意味が確かにあったことを示しているように思います。
対話の場はもちろん、まいてらが全てではありません。
それでも、他寺院と対話し、多くの刺激的な実践に触れ、自坊の可能性を柔らかく考えられる場であることは間違いありません。若手にとっては視野を広げる機会となり、住職世代にとっては次の世代とともにお寺の未来を考えるためのヒントになります。
参加者の声を見ても、
「得た知識が視野を広げてくれた」
「遠巻きに眺めていた活動が、実現可能なレベルにまで落とし込める機会になった」
「参加者の熱量に背中を押された」
といった感想が寄せられています。これは単に集いの雰囲気が良かったという話ではありません。多くの参加者が、自坊に持ち帰れる問いや実践のヒントを得たということを示しているのだと思います。
集いの翌日は土曜日。法事の大切さを強調したこともあってか、「今日はいつも以上に丁寧に法事を勤めることを心がけた。法事の前後でも檀家さんとの対話を大切にした」といううれしい声が寄せられました。
法事の強化に魔法はなく、地道な取り組みの積み重ねです。法事の一つひとつの営みを見直し、価値を高めていくことに関心がある方は、ぜひ「法事再興ワークショップ」にご参加いただければ幸いです。(ワークショップは、まいてら寺院でなくてもご参加可能です)
ゆるやかにつながる。「安心して頼れるお寺」を見える形にする
3点目の「ゆるやかにつながる」です。
まず、前提として、お寺は全国にたくさんあるものの、社会との関係における課題は「安心して頼れるお寺が⾒えにくい」ことです。お寺の数が足りない供給不⾜よりも、可視性が不⾜していることが本質課題です。
そして、現代人のお寺離れとも言われますが本質は真逆で、お寺が人々の気持ちから離れたことが根本的な原因と考えます。人々が仏教・お寺を嫌いというよりも、少なからぬお寺の看過できない振る舞いが原因となり、人々の心身をお寺から遠ざけたのです。
そのような中で、まいてら寺院は宗派・教義は異なりますが、姿勢が共通しています。話が通じる、誠実な人柄、仏教を伝える志、良心的なお布施等の(倫理)基準が揃っています。まいてらは「安心して頼れる寺院の情報インフラ」を作る営みであり、まいてら寺院の協働は、みんなで「信頼インフラを構築」する菩薩行と言えます。
1%の実践から、次の風景をつくる
とは言っても、縁あってまいてらに登録されたお寺にとって、法務、檀家さんへの対応、境内整備、地域貢献、宗派の活動など、お寺の日常は色々なことがある中、まいてらに注ぐ力はおのずと制約があります。
現実的な対応として、私からは「1%活動」を提案しました。1年のうち1%(=3日程度)の活動リソースをまいてらに配分していただきたいという趣旨です。一つひとつの営みは小さかったとしても、みんなで軸を揃えて活動していくことで、その連鎖は大きな力になります。

特に集いに関しては、「1年に1回は全体で集まりたい」「東京だけでなく大阪、名古屋でも開催してほしい」といった声も多く見られ、単なる交流の場ではなく、継続的に実践を深める場をみなさんが求めている証だと感じます。
個性を磨き
対話を重ね
ゆるやかにつながる
その積み重ねを通じて、次代に向けてのお寺の持続性は高まっていくのだと思います。
法事も、行事も、対話も、連携も、結局は「人と人との関係をどう育てるか」という問いにつながっています。その問いに向き合い続けるお寺が、これからの時代に少しずつ光を放っていくのだと思います。
まいてら寺院の集いも、そうした実践を支え合う場として、今後も丁寧に育てていければと考えています。


