回忌は時代遅れなのか - 生活者調査が示す回忌の「機能」と「負担」

井出 悦郎

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「回忌」という仕組みは、いまの生活者にとって時代遅れになってしまったのでしょうか。

実際、法事を取り巻く環境は大きく変わっています。
今回の「法事に関する生活者の意識調査」では、複数の属性軸でクロス集計を行った結果、最も構造的に示唆が得られたのは「施主経験の有無」と「年代」でした。なかでも、回忌に対する見え方の違いは、これからの法事を考える上で非常に示唆的です。

回忌は、今も法事を支える「節目」として機能

回忌

まず確認しておきたいのは、回忌という節目が、決して空洞化した慣習として受け止められているわけではない、ということです。

調査では、施主経験者の35%が「時期が決まっていることで気持ちに区切りがつく」、31%が「やるべき時期が明確で助かる」と回答しました。つまり回忌は、単なる形式ではなく、気持ちの整理と行動のきっかけの両面で、法事を支える機能を果たしています。

ここは重要です。
法事が減っているからといって、回忌そのものに意味がなくなったわけではありません。むしろ、実際に法事を担った経験のある人ほど、回忌の持つ実感的な価値を認識しているのです。

しかし施主未経験者には、意味より先に「面倒・負担」として映っている

一方で、同じ回忌という仕組みが、施主未経験者にはかなり違った姿で見えています。

施主未経験者では、「面倒・負担に感じる」が33%で最も高く、「時期が決まっていることで気持ちに区切りがつく」は30%、「やるべき時期が明確で助かる」は24%でした。つまり、経験者には機能している回忌が、未経験者にはまず負担として受け止められやすい構図が見えます。

この差は軽く見ないほうがよいと考えます。
法事を担ったことがある人にとっては、回忌は「気持ちの区切り」であり「営む助け」でもある。しかし、まだその経験を持たない人にとっては、まず「守るべき決まり」「面倒な慣習」として立ち現れやすい。ここに、現代の法事が抱える伝達の難しさがあります。

問題は、特定の回忌だけでは捉えきれない

今回の調査で見えてきたもう一つの特徴は、法事意識が特定の回忌で一気に切れるのではなく、全体として少しずつ薄れていくことです。
つまり、回忌の問題は「どの回忌までやるか」だけでは捉えきれません。法事との接点そのものが、時間をかけて弱まっていく構造として見る必要がありそうです。

本調査全体を通して見えてきたのは、法事の価値そのものが否定されているわけではない、という現実でした。法事は故人を偲ぶ機会であり、親族との関係性やつながりを再確認する場であり、読経を供養として感じる感覚も根強く残っています。にもかかわらず、規範や慣習としての強制力が弱まり、法事は「やって当たり前」から「選択する営み」へ移りつつあります。

つまり、問題の本質は、回忌という仕組みの存在そのものよりも、そこに込められた意味が放っておいても伝わる時代ではなくなったことにあります。意味が自動的には継承されない以上、寺院側には、回忌の意義をいまの生活者に届く言葉で言語化し直すことが求められます。

本レポートでは、この「回忌の機能性」に加え、施主経験の希少化、法事継続の阻害要因、寺院に期待される役割、お布施に関する理想と現実のギャップなど、法事の再設計に関わる論点を、多面的な視点から整理しています。
法事の今後を感覚ではなく、生活者の本音やデータから考えたい方は、ぜひレポート本編をご覧ください。

※『法事に関する生活者の意識調査』の詳細情報はこちら

井出 悦郎

(一社)お寺の未来 代表理事。東京大学文学部卒。人間形成に資する思想・哲学に関心があり、大学では中国哲学を専攻。銀行、ITベンチャー、経営コンサルティングを経て、「これからの人づくりのヒント」と直感した仏教との出会いを機縁に、2012年に(一社)お寺の未来を創業

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