2017年も残るところわずかとなりました。
今年も全国を回る中で、多くのお寺にお参りし、多くの住職や檀信徒のみなさんとお話ししました。
その中で色々とご相談もいただきました。
特長的だったのは、地方部・都市部の地域にかかわらず「規約」に関するご相談が多かったことです。
寺則、護持会規約、墓地規約など、お寺によって相談事項は異なりましたが、共通点がありました。
「これからの檀信徒の定義をどうするか?」
というものです。
全国的に人口流動が起きている中で、旧来の枠組みではこれからの寺檀関係を適切に表せなくなっていると感じます。
言い換えれば、ポスト檀家制度時代における、新たな寺檀関係を定義する枠組みが求められていると言えます。
新しい枠組みが求められている背景を簡単に振返ってみましょう。
背景1:檀家という意識を持つ人はすでに多数派ではない
まず、檀家という意識を持つ人は多数派ではないという現実があります。
都市部への人口流入が続く中、数年後に同様の調査を行なえば、さらに檀家という意識を持つ人は少なくなっていくと想定されます。
背景2: 後世の負担増という構造要因で、正式な儀礼での先祖供養は減少
また、檀家というあり方は、長らく先祖供養と密接な関係にありました。
しかし、この先祖供養は構造的な変化を迎えています。
これからは遠隔に住む少ない子孫で葬儀・法事が営まれるケースが増えていきます。
先祖供養は、世代間扶養である年金制度と同じように、現役世代が減少する時代において構造的に無理があります。
この構造変化は、既に「同一の法要で複数名の先祖を供養する」「弔い上げの短縮化」などの形で具体的に表れ始めています。
墓参りに行く人の数は減っていないとのデータもあり、「弔い」の意識を持つ方は、これからも相当数いらっしゃるでしょう。
しかし、年金制度と同じで子孫(後世)の負担増という構造要因のために、法事などの正式な儀礼として気持ちを表す方は間違いなく減っていくと考えられます。
背景3:宗教は共同体から個人化へ
また、家族や地域社会といった中間共同体の形が保たれていた時代は、宗教そのものを意識せずとも、中間共同体の様々な伝統的な営みによって、ほとんどの人が宗教的価値観と自然に接続していました。
しかし、中間共同体が希薄化していく中で、個人と宗教的価値観が直接的に接続していく構造が生まれています。
ただ、個人が直接的に接続していくのは高いハードルとなります。
お寺が何らかの中間共同体的な価値を発揮できない限り、個人と宗教的価値観との接触機会は増えていかないでしょう。
檀家から檀徒へ。永代墓は必須の流れ
以上のような背景をふまえ、これからのお寺の会員制度を考えていきます。
檀信徒の基本的な考え方は以下のように分類できます。
お寺によっては境内墓地がなくても檀家するところもありますが、以下の分類を基軸とした上で個別事情によって変化させていくことになるので、基本的には以下の分類で問題ありません。
個別に見ていきましょう。
まずは檀家ですが、今までの家族墓を中心とした寺檀関係は、継承者の問題などで長期的には永代墓に移行していくと考えられます。
そして、継承者がいる場合であっても、各世代ごとにお寺との関係を選び取っていく、檀徒としての立ち位置を求める方も増えていくでしょう。
檀家から檀徒という関係になっても、ご縁をつないでいくには、伝統的な家族墓だけでなく、永代墓をはじめとした墓地の多様性が長期的に求められていくでしょう。
お寺の姿勢・取り組み次第で、信徒Aとのご縁は広がる
次に信徒Aを見てみます。
正確なデータは分かりませんが、僧侶派遣業が成長しているとすれば、潜在的な信徒Aの層は増えていると考えられます。
檀家意識は希薄化しても、「しっかり弔いたい」という思いを持つ人はこれからも相当数存在し続けるでしょう。お寺の姿勢次第では、信徒Aの層は成長性が高いと言えます。
実際に、お寺の未来がコンサルティング等を通じてご支援している中には、この信徒Aの層が増えているお寺もあります。
- ・お寺との距離感を、受け手(信徒A)が選択できること
- ・受け手(信徒A) とのゆるやかなつながりを生み出し、保つ仕組みがお寺側にあること
- ・お寺が受け手(信徒A) の視点に立って、仏事の価値を継続的に磨く努力をしていること
- ・お寺との付き合い経験が薄く、「信徒」という名称を警戒する人もいるため、呼称を工夫すること
などがポイントとして挙げられます。
お寺ごとの良さや個性をふまえて具体的な手法を導くことで、信徒A層とのご縁が育まれていくでしょう。
特に、檀家制度の名残りである、「檀家」という囲い込み発想を捨てることが大切です。
出入り自由なオープンな雰囲気と仕組みを作っていくことがとても大切になるでしょう。
信徒Bとのご縁を育むには、お寺側の仏教性が問われる
次に、信徒Bを見てみます。
伝統的に寺檀関係は死者儀礼が中心でした。
しかし、死者儀礼とは違う形でお寺とのつながりを求める人も一定数存在しています。
ある意味、死者儀礼「のみ」に依存しないお寺づくりが求められていると言えます。
信徒B層に対する代表的なアプローチは、体験型仏教です。
坐禅・写経・写仏・法話などに加え、近年はヨガなどに取り組むお寺も増えています。
個人的には宿坊が大いなる可能性を秘めていると考えています。
宿泊という長い時間を通じてご縁を育み、様々な場面で仏教的な価値観を伝えていくことができます。
日本人だけでなく、広く世界から訪れる人に対しても宿坊はとても将来性があります。
また、違った角度から見ますと、例えば不登校の子どもや、家庭内暴力などにあっている方など、生きづらさを抱えている人の心の受け皿になることも潜在的な求めは大きいと言えます。
ある知り合いの住職は、不登校の子どもと時々会って、その子が好きな釣りに一緒に行ったりして遊んでいます。なにげないことですが、その子の気持ちには相応の支えになっていると思われます。
物事がもっと大きな問題になる前に未然に対処するには、社会の公式なセーフティネットだけでなく、ある種のおせっかい的な善意の第三者が身近にいることが大切です。
地域社会が崩れる中で、現代は「善意の第三者」に出会うことが難しい時代になっています。しかし、駆け込み寺と言われるように、お寺は「善意の第三者」の力があります。
縁側に座って、一緒にお茶をすすり、たわいもない話でほっこりできる。しかも、お茶代がかかるわけでもない。
「話すのにはお金がかかる」と思い込んでいる現代人にとって、お寺のようなありがたい存在との出会いは、価値認識のコペルニクス的転換でしょう。
話を戻しますと、信徒B層とのご縁を育むには、それぞれのお寺の仏教性がとても問われます。
まだしばらくは、死者儀礼がお寺の大きな比重を占めていくでしょうが、長期的には既に述べた構造要因などによって死者儀礼は減少していきます。
ただ、信徒Bの方々もいつかは死者という存在になります。
死者儀礼で始まったご縁ではなくても、巡り巡って死者儀礼のご縁となる時が訪れる時もあるでしょう。
そのような長い時間で巡るご縁の行く末は誰にも分かりませんが、長期視点でお寺・僧侶の魅力や個性を活かして、信徒B層とどのようなご縁を育んでいくかが問われています。
ポスト檀家制度の新たな形は、チャレンジの先に立ち現われてくる
さて、話をまとめます。
ポスト檀家制度時代における、お寺の会員制度を具体化していくポイントは以下のように考えられます。
- ・伝統的な「イエ」にこだわらず「個人」を意識する
- ・「檀家」という囲い込み発想を止め、お寺との関係を個々人が主体的に選べるようにし、緩やかにご縁がつながる関係(=信徒)を大切にする
- ・緩やかにご縁がつながり、継続するための、自坊の特長・強みを明確化する
- ・永代墓をはじめ、地域事情に合ったお墓の多様性を検討する
- ・その上で、自坊に合った檀信徒の定義を具体化し、信徒の呼称も工夫する
- ・実態に鑑みて、寺則・護寺会規約・墓地管理規約など、諸規約を改定・整備する。その際は、檀信徒側の視点に立って、檀信徒の権利を具体化する
檀家制度はもう終わりという話はよく聞きますが、その先を語る言説にはあまり会いません。
ポスト檀家制度とは、お寺を取り巻く環境変化をしっかり見つめ、冷静沈着に取り組みを導いていく以外の王道はないと感じます。
「お寺との関係が負の遺産」
この言葉も近年よく聞かれますが、先祖代々のお寺との関係を積極的に整理したいという人は実際は一部にとどまるでしょう。
ただ、そうせざるを得ないやむをえない事情がある方も現実はいらっしゃるでしょうから、だからこそお寺側が先手を打って、安心してご縁を続けやすい具体的な枠組みを檀信徒に提案していくことが必要です。
新たな枠組みの提案にお寺側が一歩踏み出し、試行錯誤を繰り返すことで、ポスト檀家制度時代の新たな会員制度はゆるやかに立ち現われてくるでしょう。
お寺の未来が運営する『まいてら』も、信徒A・Bの層を含めたポスト檀家制度を見据えた取り組みと位置付けています。
お寺の未来はこれからも様々な取り組みを通じて、ポスト檀家制度にチャレンジする全国のお寺を力強く応援していきます。