体験型宿坊のモデル寺院。光澤寺(鳥取県)の宿坊立ち上げ物語

井出 悦郎

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近年、宿坊に興味を持つお寺が増えてきています。特に過疎地にあるお寺が、伝統的な法務に依存しないお寺のあり方として、宿坊に着目されています。
お寺の未来では、宿坊についてご相談をいただく際、これからの宿坊のモデルケースの一つと言える「宿坊 光澤寺(鳥取県)」をよく取り上げます。

今回は光澤寺の宗元住職のご厚意で、宿坊立ち上げから現在に至る歩みについてインタビューさせていただきました。
宿坊 光澤寺の歩みから得られる示唆をポイントとしてまとめますと、次のようになります。

  • 一日一組というスタイルは、伝統的宿坊と差別化できる価値ある独自性。一方、仏教の見識に基づく対話力も含めた総合的な対応力が磨かれる(=寄り添う力も含めて、一日一組のメリットは予想以上に大きい)。
  • お寺の運営として、収益の基盤をお布施以外に作ることが必要。宿坊はその柱の一つになり得るが、そこから始まる展開力の方がポイントになる。(その後の展開方法はお寺それぞれに異なる)
  • 宿坊はお寺の敷居を一気に取り払う効果がある(敷居はお寺側の意識だけでは下がらない)。さらに宿泊だけでなく、「日帰り体験」という地元需要の開拓が自然にできたことも、大きな収穫。
  • 宿坊の宣伝は、費用面からも当初はネットの活用が選択肢。話題作りによって、メディア側からのアプローチがあるのが大きなメリットになる。日帰り体験は、地元の口コミの力が大きいので、対話・対応力や法話体験などの魅力作りが欠かせない。
  • 宿坊でできたご縁が納骨堂などにもつながる可能性があり、宿坊は収益化よりも、お寺の評判(ブランド)作りという位置づけが重要。

そして、光澤寺で起きている成功要因の良循環を図示すると、次のようになります。

以下は光澤寺の宗元住職へのインタビューです。とても興味深く、示唆に富んだ内容ですので、上記のポイントも参考にしながら、ぜひご一読ください。

継職時、お寺のハードはボロボロ。収入源のお布施も、門徒から低減要請があった

50歳で継職した時、過疎化が進んでいたこともあり、葬儀が例年の半分くらいに一気に減った。門徒数が少なく、収入がなくて困った。過疎地でもあり、年金をあまりもらっていない方が多く、後継者もいない家がほとんど。門徒に資金的余裕はなく、お布施を安くしてほしいという要望も重なった。

護持会費もないので、本堂の仏華や電気代もお寺が負担。10数年間は本堂の修繕をしていない。庫裏は雨漏りでカビが多かった。750回大遠忌の際にボロボロの親鸞聖人の厨子修復も寄付なしで、自費の修復もした。

宿坊を開くことを決意。しかし、立ち上げるにも参考になる事例がなかった

当時は介護法が制度化し、宗派や寺院もそれへの対応に方向性をきり、「寄り添う」(例:ビハーラ、アソカ)という流れが出てきた。田舎なので、お寺でできることをやったほうが良い、お寺が寄り添うのは介護やデイサービスではないと思った。介護にダイレクトに関わったら、お寺本来の活動ができなくなると思った。

真宗は禅宗のように、葬儀の際に脇導師として呼ばれるなどの協力関係はない。宗派はもちろん、他のお寺が助けてくれたりすることもない。加持・祈祷もないので、支えてくれている門徒が全て。

当時は宿坊、寺院葬が候補にあがった。宿坊に興味があり、自分でやってみたいと思っていた。寺院葬は、会館ではないお寺という場所でしっかりと見送りたい、心がこもった葬儀をしたい、その中で収益をあげたいという思いがあった。しかし、寺院葬をやっても田舎は門徒さんしか来ないので、門徒以外への展開力がない。そこで、お寺をオープンにして行きたいという思いがあったため、宿坊をすることに決めた。浄土真宗には宿坊がなく、霊場・祈祷寺院もない。関西には真宗の人が多いので、宿坊をやったらけっこう来てくれるのではないか。帰ってきてすぐの2011年(継職&750回大遠忌)に準備を始めた。

庫裏や本堂、渡り廊下を直して奇麗にしていく中で、客間に人を泊められると思った。旅館業ではないが、お寺として食べていく苦肉の策だった。ただ、宿坊よりも前提として、お寺をオープンにして、門徒だけにお寺の発展を縛られたくないという思いがあった。

宿坊というイメージがなぜ出てきたのか自分でも分からない。そこまでの旅好きでもない。宿坊に行ったこともない。月刊住職には、埼玉県秩父の太陽寺の記事があった。当時、宿坊に関する雑誌(宿坊研究会発行)を2冊買ったら、高野山、本山、霊場などの有名寺院ばかり。光澤寺には文化財や、天空の宿があるわけでもない。色々な宿坊を回ろうかと思ったが、意味がないと分かった。

手探りの宿坊開設。無事に旅館業と飲食店業の許可を得る

宿坊は、2011年の秋に本格的に考え始めた。宿坊を開くなら、ホームページはいるのではと思った。お寺に出入りしていた若い人がいたので手伝ってもらい、簡単な写真を撮って、文章とキャッチコピーをつくって、簡単なホームページをアップした。アクセスを増やすために、年明けからブログ(ライブドア)を始めた。HP、ブログ、Facebookの三本柱で広報を行なった。

宿坊を開こうと思っても、旅館業をどうすればよいのか分からなかった。坊守は料理をつくりたくないと言う。料理はコンビニというわけにもいけないし、過疎地なので仕出し屋もない。とは言っても食事がないと宿坊は成り立たない。坊守もしぶしぶOKしてくれたが、食事を出すにはどうすればよいのか分からず、お寺にはお斎文化があるから良いのではという思いもあった。県庁に行って聞いたら、不特定多数を泊めるなら旅館業を取って、食事を出すなら飲食店業なので保健所に衛生責任者を取りに行ったらとアドバイスをしてくれた。それまでは料理を出すには、調理人にならないといけないと思い込んでいた。

旅館業申請のために、お寺と周辺環境の詳細図をPC(Excel)で作り、県庁に持って行ったら、受理してくれた。当時は農家民泊が動き始めた時。「来年から農家民泊が始まるから、その基準で受け付けるから難しくないかもしれません」という話だった。本堂はどうするかという話があり、本堂も宿泊しますということで宿泊施設に入れた。後日、県の担当者2名がお寺に来て、写真を撮り、2週間後に許可が下りた。

食品衛生責任者は、妻が保健所の一日講習を受け、免許証をもらった。保健所は施設面の指導が厳しかったが、これから規制も緩くなるからねぇという話で、水道を一か所増やす程度でおさまった。3月に飲食店業の許可が下りた。

4月から宿坊を始めようと思ったら、まだ飲食店業の許可が下りていない3月のはじめくらいに、男性から宿坊に泊まれるかという電話があった。卒業旅行をしている大学生で、石見銀山に行こうと思っているとのことで、泊まれないかということだった。飲食店の許可は出ていなかったが、宿泊許可は出ていたので、食事はお金を取らないということで、泊まった。3月中には飲食店の許可が下りて、4月から正式に宿坊を開業した。

開業初月は来訪者ゼロ。差別化のために体験型宿坊という独自性を打ち立て、体験プログラムを整えた

まだ開業しているわけでもないのに、宿坊研究会の堀内さんから「宿坊始められたのですね」とメールがあった。宿坊研究会のサイトに載せますよという話で、アプローチが速く、さすがだと思った。

色々な紹介サイトに掲載しないといけないと思い、楽天トラベルに載せた。しかし、人が来ない。結局、4月は誰も来なかった。

他の宿坊と差別化をしないといけない。東京にいた時は、成田山や高尾山で写経したり、青松寺で一泊参禅会をしたりした。スマナサーラ長老の講演も聞きに行って、テーラワーダが斬新だと感じ、瞑想はいいなと思った。鳥取に帰った後、関西で引かれたスマナサーラ長老の瞑想会に参加した。観光地でもない、過疎地の檀家さんもお参りしないお寺に、どうやったら人が来てくれるか。差別化するために体験型宿坊というコンセプトを考えた。

体験としては、写経するなら般若心経だと思った。重誓偈の手本も用意した。成田山のような準備はできないが、とりあえず道具(すずり、下敷き、筆、半紙、文鎮、筆置き(=箸置き))と手本を用意した。どう指導したらよいか分からなかったが、みんながその道具で普通に写経に取り組むので、まぁ、それでいいかと思った。庫裏、廊下など色々なところで写経を試したが、本堂のご本尊の前が一番喜ばれた。

浄土真宗なので、坐禅はさすがにできないと思った。瞑想はよく分からないけど、スマナサーラ長老の瞑想なら座り方くらいは教えられる。どこまで自分に対応力があるか分からなかったので、仏教や瞑想に詳しい人が来たらどうしようと思ったが、杞憂だった。その他に仏教講座、浄土真宗講座、法話、読経・作法、絵手紙はできると思い、体験プログラムを準備した。

少しずつ来訪客が増え始める。来た話は何でも受ける中で、メディア取材による反響も出始めた

GWに二組(女性一名、夫婦(50代・40代後半))が来た。ネットを見て、近くに来たからということだった。食事はどうしようかと。精進か、山陰の地元家庭料理を選んでもらった。その頃、交通のアクセスが悪いので、希望があれば送迎もしようということになった。

6月に県の関係者が、プライベートで韓国と交流しているので、光澤寺もグリーンツーリズムに入ってという話になった。そして、韓国の交流団10数名で泊まりに行くという話になった。6月は、地元の寺巡りが好きな男性が訪れた。

7月に東京から二泊三日で一人女性20代後半(証券会社OL)が宿泊。不倫関係の彼氏をがんで亡くし、心が落ち着かないとのこと。近くの陶芸に連れて行ったり、色々な体験をした。若い女性に細かく対応すると、坊守の機嫌が悪くなることもそのころからだった。このあたりから少しずつ人が増えるようになった。

8月に役場の人から、少年野球の合宿の子を受け入れてくれないかという話があった。43名(20名は小学生、20名保護者、3名はコーチ)。寝る場所は本堂でもいい、食事も何かを提供してほしいと。坊守は難色を示したが、当時は来た話は受けようという考えだった。初日はカレー、2日目は本堂前のBBQ。子どもは本堂で、大人は庫裏に寝た。当時の庫裏はエアコンがなかった。食材、布団の調達、部屋準備などを一ヶ月かけて準備した。最初の一年目は家庭風呂しかなかったが、なんとか乗り切った。しんどかったが、良い経験になった。布団購入や、食材で資金ショートするのではないかという不安もあった。用意していた食材がかなり余ったのも学びだった。今は坊守も慣れ、少年野球合宿の食材も大丈夫。

8月に役場主催のお祭りがあり、ニコニコ動画もあって、地元で頑張っている人に一人二分のPR時間をもらえた。みんな田舎の人なので、タイムマネジメントが下手で時間オーバーだった。私は最後から二番目で1分の時間をもらった。その場に地元の朝日新聞記者がいて、地元の人紹介に出てくれないかという話があり、記事になった。たまたま記事を見たおばあちゃんが、主人の納骨を考えていて、ここに決めたということで後日お寺に来た。

そして、日本海新聞にも宿坊を始めるという記事がのったので、その記事を本願寺新報の読者欄に送ったら、今度は本願寺新報の記者が取材に来た。記者は一泊して、実家のお寺のことで悩み相談になった。自分は眠くて坊守にバトンタッチし、坊守と記者は朝5時まで話していた。

本願寺新報が掲載方針を変えるタイミングということもあり、過疎地のお寺の取り組みということで一面トップ記事になった。後日、本願寺新報を見た人が北海道から来た。仏教婦人会と総代会の人で、二人は夫婦でもないのにわざわざ来た。そして、本願寺新報の記者の方にイタリアン精進料理を紹介され、レシピ本をもらった。その時はレストランの様なイタリアン精進料理はとてもできないと思った。

NHKの取材による反響で、「日帰り体験」という需要が開拓された

大きな転機は、NHK鳥取支局の女性がプライベートで一人で来たこと。帰り際にNHKだと告げられ、取材を依頼された。瞑想、読経、写経の体験映像だけでなく、何か変わった特長・独自性についてたずねられ、思わずイタリアン精進料理できますよと言った。テレビのロケまでに準備期間があったので、自分たちで考えてメニューをつくって出した。撮影当日は、若い男性記者が瞑想にはまり、「すごく気持ちいいです」とコメント。写経もして、イタリアン精進料理(5皿/名)がとても美味しいですという場面が放映された。

TVに出てから、11月くらいに日帰り体験はできるかという連絡があった。お金は?と言われたので、1500円でいいですと言って始めた。この値段に、みんな安いという感覚を持ってくれる。写経、食事をして、午後には法話。コーヒー、お茶菓子(地元、イチゴ大福)も出したら、「おいしー!」となり、女性は喜ぶ。写経も楽しまれ、法話もありがたかったですと言われた。

初年度に宿坊関係の雑誌がいくつか出て、とてもニッチな雑誌だが、そこにも掲載された。宿坊をやっていたら載せてくれるんだなぁと。来た人がその雑誌を見て、光澤寺ものっているんですねという反応があり、信用補完になる。家族や主人を亡くした人は、ネットでどこまでも情報を探して、お寺に来訪する。

二年目(2013年)には評判がさらに広まり、日帰り体験の需要も拡大。その評判が新たな縁を生み出す循環に

次の年(2013年)にはテレビに3件出て、少しずつ名前が知られるようになった。田舎なので、門徒さんのためだけにがんばっていても、門徒さんも自分のお寺しか知らないので、お寺側ががんばっているのかどうなのか分からない。

最初はお客が来ないので、売りとして一日一組にした。たまたま二組入れた時は雰囲気がギクシャクした。来られる人は悩みを持っているので、完全一日一組にした。お風呂も家庭風呂では駄目なので、資材を自分で買ってきて、左官屋に頼んで一緒につくった。

八頭ブータン村(やずブータン村)が地方創生系の補助金の窓口になる。宿坊をやっているので観光協会にも入っているが、役場から観光協会のホームページリンクについて、役場がお寺に肩入れしていいのかというクレームが入った。行政との距離感は、そう言うものだと理解して取り組むことが大切。行政は政教分離を原則としているが、やり方によっては役所との関係を作って行くこともできる。実際に、議会・公民館の高齢者大学・中学校・小学校・保育所・社会福祉協議会・人権セミナー等で、講演の依頼がある。

鳥取市の地区公民館は、一年に二回どこかに行こうという計画を持っている。次の年(2013年)には、全ての公民館が日帰り体験で来た。移動することなく、一日お寺で遊べるので、公民館の担当者は楽。光澤寺はバスなので、定員が20-40名ですぐに埋まる。現在、日帰り体験は年間1000名にまで発展してきている。

地区の婦人会連合総会60名が真夏7月に来ることになった。一人5皿必要になるため、300枚を100円ショップで買ってきた。写経も一気にできないので工夫した。これによって地元に一気に光澤寺の評判が広がった。公民館や婦人会で気に入った人は、知り合いを連れて何度もリピーターになり、中にはファンになってくれる。法話が良かったよという評判が地元に広がり、その評判が講演依頼にもつながっている。講演には来ている人の菩提寺の宗派はバラバラだが、どういう話をすれば良いか鍛えられる。

この7年間で埋没するお寺ではなくなったのが、宿坊に取り組んだ最大の効果。24時間、ずっと一人の方と向き合う。ずっと話を聞いていくため、カウンセリング力、対話力が鍛えられる。実践を通じて、寄り添うという意識が変わる。誰が来ても対応ができる。悩みのある方や鬱の方も多く来られるが、その方々に対応できる力が徐々に付いた。

また教義や専門知識はあった方が良いが、そこまで難しい話しにはならないので、それほど心配は要らない。現在は、「こころの授業」という講座もつくり、ストレスが苦しみに転化するという話をし、その後に瞑想する。80代女性でも「気持ちいいわ」と言って、瞑想を好んだりする。専門用語を一切使わないで法話をするという、これからの方向性にも合致している。

「一日一組限定」「話を聞いてもらえる」という雰囲気が伝わり、宿坊 光澤寺が目的地化。客層も全世代に広がる

20代が3割(3分の2が女性)を占める。男性でも年に3-4回来る人がいる。20代は親との家族関係が壊れていると感じる。子どもの時のDV、放置などが噴出していると感じることも多い。親子関係だけでなく、人間関係で苦しんでいる人も多い。鬱で10回くらい来た人や、自殺願望の人もいた。完全な孤独ではなく、世の中のどこかに接点があり、聞いてもらえるという安心感のためか、時間をかけて話を聞いていれば全員立ち直っていく。

次には50代女性が2割を占める。50代女性は色々な点で変化の時。更年期で身体に変化が訪れるだけでなく、子育てが終わったり、子どものことで悩んでいる。夫婦関係も倦怠期で主人の不満が爆発する。親の介護も始まる。

その他には、30代:2割、40代:2割という構成だが、70-80代や10代も増えてきて、全世代に広がってきた。男女別では、全体として女性が8割くらい占める。最初は女性が圧倒的だったが、最近は男性も増えてきている。仕事をしている人がほとんどだが、主婦で来る人もいる(大体が一泊)。旅行に行くというよりも、「お寺に行く」というほうが家族にも言いやすいのではないか。東京OLは二泊が多い。全体としては関西よりも関東の人が多いが、大体半々くらい。

観光で一見さんはほぼ0%で、今はほぼ全てが光澤寺に行くという目的的に来る。始めた当時はもっとおしゃれな名前を作りたかったが、結果的に宿坊光澤寺という名前が良かった。遊び、旅行のついでという人はほとんど来ない。お客さんがしっかり選んでくれる。やってみて5-6年目でここまで来るとは思えなかった。

精神疾患の方でも、お寺、宿坊に行ってきたと、周囲には気軽に言いやすい。女性一人旅がしやすい環境。旅館は一人で泊まれなかったりするし、周りが賑やかな分、余計に孤独感を味わう。

HPでの写真・文章は意識しているが、自然と来訪者層が収斂してきている。ブログに仏教、いのちのことを書いていたら、初期はブログを読んできた人が多かった。来た人に聞いてみると、自分が行ける場所、行きたい場所かというのは「HPを見たら分かります」と言う。一日一組限定で、自分のことを話せ、そして聞いてもらえるという雰囲気が伝わっているのではないか。

住職と話せることも大きいと言われる。夕食も一緒に食べるという人が99%。みんな一人にはなりたいが、本当の孤独になりたいわけではない。日帰り体験で来て、後日に悩み相談をしにくる人も多い。最近は「本堂深夜バー」が人気で、ほぼ全ての宿泊客が希望する。話される人生相談は内容がとても濃く、一番のコンテンツと言えるかもしれない。

宿坊の評判が納骨堂にもつながるよう、住職としての安心感・魅力を高めることが課題

光澤寺はいつも何かやっているという印象がついたので、終活セミナーやワークショップ、コンサートなど、向こうから話が来る。ここは受け入れてくれると感じてもらえたら、向こうから話しがやって来るようになった。

やずブータン村のミッションは、過疎化の進む地域の支援。お寺以外の活動の任意団体は有効でお寺のイメージ作りに役立つ。どこかのグループに入ると、自分のやりたいようにはできない。お寺に宿泊ができると、出演者もイベントが終わってすぐに帰るのではなく、夜に食事をしながら話が盛り上がることができる。

今後は宿坊の評判が納骨堂にもつながるよう、お寺だけでなく住職個人の魅力をどこまで高められるかが大切。この住職なら安心と思ってもらいたい。

 

(参考記事)日本のお寺が世界のお寺になる日 - 中国人の心に響くお寺の魅力

井出 悦郎

(一社)お寺の未来 代表理事。東京大学文学部卒。人間形成に資する思想・哲学に関心があり、大学では中国哲学を専攻。銀行、ITベンチャー、経営コンサルティングを経て、「これからの人づくりのヒント」と直感した仏教との出会いを機縁に、2012年に(一社)お寺の未来を創業

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