[お寺の生態論] 1.悠久の時間軸

井出 悦郎

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昨年来、様々な企業・団体からお寺を対象とした新規事業のご相談をいただきます。
事業性そのものは判断しかねますが、成功の確度を上げるために「もっとこの点を大切にしていただいたほうが良いかもしれない」と思うことが多々あります。
と言うのも、企業や社会の常識と、お寺の常識は大きく離れている点が少なくないからです。
どちらの常識が正しいかということではなく、自らの常識は相手にとって非常識であるという違いを冷静に見つめ、お互いの接点を模索することが大切だと感じます。

そして、様々な企業に、同じことを繰り返しお伝えしていることに気づきました。
それならば、お寺という有機的生命体を観察してきた身として、お寺の生態について整理して発信することが、企業や世の中にとって有益ではないかと思うに至りました。
さらに、企業の合理性と異なるお寺の生態を知ることは、新規事業を超えて企業経営そのものにも良い影響があると考えますので、企業経営にも通じる形でお寺の生態を論じていきたいと思います。

本稿では、まずは「悠久の時間軸」について述べます。

お寺は正真正銘のゴーイング・コンサーン(going concern)

まず、お寺は「悠久の時間軸」で営まれているという特性があります。
それは、文字通りのゴーイング・コンサーン(going concern:継続事業体)の存在であるということも意味します。

企業も本来はゴーイング・コンサーンですが、主に会計絡みの場面で聞かれ、実際の事業の現場ではその指針が意識されることはあまりありません。

企業は日々を生き抜くために、しっかり利益を創出する必要があります。
昨今は時代の変化も激しく、現場の日常的な意識にゴーイング・コンサーンの指針を根付かせるのは困難な時代かもしれません。
企業は時流適合である以上、結果としてのゴーイング・コンサーンという側面が強いですし、少しでもゴーイング・コンサーンであるために、重要なお金の部分にはその指針を取り入れていると言えるのかもしれません。

一方、多くの住職は、住職を継ぐ前から「次の世代にお寺をどのようにつなぐか」を強く意識されていると感じます。
数百年続いてきたお寺という重みを、どう次世代に受け継いでいくか。
住職の基本的な考え方には、ゴーイング・コンサーンが強く埋め込まれていますので、結果としてお寺の運営指針そのものがゴーイング・コンサーンであるということになります。

悠久の時間軸に立つ「時間戦略」

「小さな変化の積み重ねが、大きな変化を遠ざける」

ある生物学者の方がこのような趣旨のことをおっしゃっていました。
生物は瞬間ごとに絶え間ない変化(新陳代謝)を積み重ねることで平衡状態を保ち、その変化の連続によって、甚大なストレスが必要となる大きな変化を不必要にしているとのことでした。

お寺は一見変化していないように見えても、長期間にわたって続いてきているのは、微細にでも小さな変化を積み重ねてきたからだと思います。
「お寺も変化しないといけない」という言説をよく聞きますが、それは世間の常識的な変化の時間軸をあてはめているだけで、牛歩でありながらもお寺が微細に変化し続けていることへの観察力が不足していると感じます。
微細な変化の積み重ねは分かりにくく、10年くらい経てばようやく分かる変化なので、一見すると緩慢な変化に見えるのでしょう。

そして、お寺が短期的かつ急激に変化しないのは、「いのち」というテーマを扱っているからだと思います。
人間や動植物という生命体は細胞レベルでは絶え間ない変化を繰り返していても、短期的に形状が変化したり、進化したりということはありません。表面的に分かりやすい変化が表れるまでには時間がかかります。
微細な変化の数多の積み重ねによって、いよいよ表われてくる人間や社会の本質的な変化に応じて、緩やかに長期的に変化していく不易流行の存在がお寺と言えます。
したがって、お寺が「いのち」というテーマに向き合う存在である以上、そもそも悠久の時間軸に立たなければ、その本来的な存在意義を果たせないということになります。

意思決定のベストタイミングは「ご縁が整った時」

お寺は、スピード感のある意思決定とはほど遠い世界でもあります。
特に重要な物事については意思決定が遅いです。
では、どのようなタイミングで意思決定するのかというと、「ご縁が整った時」です。
例えば、

  • 最近、跡継ぎのいない檀家さんが増えてきた
  • 実際にお墓のこれからについての相談も多くなり、墓地に空き区画が目立ってきた
  • 檀家さん以外の地域の人からも、永代供養墓について聞かれることが多くなっている
  • 一昔前よりも石材店が永代供養墓について前向きになっている

社会変化の中で自然と様々なご縁が整っていけば、いよいよ取り組みが始まります。
逆に言えば、ご縁が整わなければやらないということになります。
お寺が自らの意思によって変わるのではなく、自らとつながりのある様々なご縁の変化に応じて変わると言えます。能動的変化というよりは他律的変化であり、全てはご縁次第とも言えるかもしれません。
そうすることで、一時期の流行を追って投じたエネルギーが無駄になることもありませんので、長期にわたって生きながらえていくにはとても賢い歩み方だと思います。

お付き合いのスタートラインに立つ「3年」という時間

お寺の未来の歩みを振り返った時、「3年」という時間は一つの節目だったと思います。
(毎年それなりに大変でしたが)特に3年目は事業面も収益面も最も苦しかった頃と記憶しています。

当時は気づきませんでしたが、お寺がゴーイング・コンサーンの組織だからこそ、付き合う相手としてお寺の未来が本気なのかどうか、続くかどうかということを、お寺側からじっと見られていたように思います。
逆に言えば、長く続いていく責任があるお寺にすれば、続かない組織とは付き合えないということなのだと思います。

「石の上にも三年」とはよく言ったもので、3年を過ぎると、行く先々でお寺の未来の名前が知られていることが増え、お寺側からも前向きな声を掛けられることが増えてきました。
そして、「あの時、お寺の未来さんが言ってたあのことなんですが・・・」という相談も増えました。
こちらとしては「そんなこと言ったかな?」と忘れていることもしばしばでしたが、種をまいたご縁は忘れた頃に芽吹いてくるという不思議な世界に気づかされました。

このような経験をふまえ、ご相談をいただく企業には次のようにアドバイスしています。

  • 企業の新規事業基準で見てはダメ。3年で単年度黒字になれば120点満点。5年間で累積赤字が解消しないことも見据えた覚悟が必要
  • 短期的に撤退すれば、企業ブランドを棄損(「あの時、彼らはいなくなったよね」ということをけっこう覚えている)。なので、中途半端な気持ちならば止めたほうが良い
  • 資本を投入して一気呵成に成長させる企業にとっての定石は通用しにくい(なぜかと言うとお寺のドライバーが金銭資本ではなく「ご縁」だから)
  • ご縁は忘れた頃にやってくる。なので、最初の数年間は種まき(ご縁への投資)と考える
  • 一度、お寺の懐に入ると、とてつもなく優しい世界が広がっている(それを夢見て頑張りましょう)

今の世の中はやってみなければ分からないことも多いので、以上のアドバイスが全てあてはまらないこともあるかもしれませんが、お寺に体当たりでやってきた身としてはこのような原則を感じています。
まずお寺とお付き合いするには、この「悠久の時間軸」という特性をよくふまえていく必要があるでしょう。

井出 悦郎

(一社)お寺の未来 代表理事。東京大学文学部卒。人間形成に資する思想・哲学に関心があり、大学では中国哲学を専攻。銀行、ITベンチャー、経営コンサルティングを経て、「これからの人づくりのヒント」と直感した仏教との出会いを機縁に、2012年に(一社)お寺の未来を創業

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